日本における看護職の歴史

日本では明治時代に、明治政府によって、新しい西洋医学が導入されるまでは、病院施設というものはなかったそうです。ナイチンゲールによって近代看護が確立され、本格的な看護師養成教育が行われるようになってから、そのナイチンゲール式と言われる看護教育は日本においても看護の礎となり、多大な影響を受けました。

看護婦規則が1915年に制定され、看護婦という呼び方が定着し、病人や褥婦の看護を行うのは看護婦の役割とされました。この頃の日本では看護婦という呼び方からも分かるように、女性の職業とされていました。その後、1948年に第二次世界大戦に日本が敗戦したことがきっかけで、それまでとは違う看護制度がアメリカ指導によって決められました。

このアメリカ指導のもと制定された「保険婦助産婦看護婦法」では、今まで別々のものとされていた保健婦や助産婦と看護婦の教育が一本化され、看護婦と同じく保険婦や助産婦にも看護教育が義務付けられました。2001年には看護職が男性の職業としても認められるようになり、それまでの「保険婦助産婦看護婦法」から、「保健師助産師看護師法」と改められました。

高齢化社会の日本において、需要が高く、高度な専門職としての確立がなされた看護職は、明治時代からすると、職業としての位置づけも高くなっています。看護教育も専門学校や大学などと幅が広がり、看護師が行う医療補助の範囲も広がっています。これからの日本においては医療も高度化し、看護師も、より知識や技術を要するようになるでしょう。

保健師の活動の場も、病院などの医療機関だけでなく、人が育つところ、人が働くところにあります。過酷な家庭環境での十分な育児、過酷な労働環境での健康維持。子供から大人まで保健師に守られているように思えますね。戦中戦後から今日まで、保健師の目線からすると食事・育児・労働、もしかしたら何も変わってないのかもしれないと怖い想像をしてしまった。子供が放置され亡くなったり、長時間労働で命を削ったり、悲しいニューが絶えません。保健師の数は足りているのか?と心配になりました。